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艦これ 金剛 聖地巡礼 [聖地巡礼]

皆さんこんにちは♪ご機嫌うるわしゅう♪

オタク過ぎて日本中を走り回っているゆきです。

まだまだ続く『艦これ』の聖地巡礼ネタですが、今回は『戦艦 金剛』の聖地にやってきました。

季節はお正月間近の『建水分神社』・・・・『建水分神社』

読める?

コレ『たけみくまりじんじゃ』 って読むんですよ(`・ω・´)ドヤ
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大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分(すいぶん)にある建水分神社の歴史は古く、

紀元前92年からと伝えられています。

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ここの神様は万物創世の神様と水を司る神様達が祀られていて

僕たちに貴重な水を分け与えてくれます。

水を分け与える。水を分ける・・・・水分・・・・?それで建水分神社!?DSCいざ聖地りさ_0778.jpg

立派な門松もあってお正月ムードだけど、この記事書いてるのが5月末なんだよな・・・・
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DSC_0階段でヒィヒィ言わせられるぜりさ786.jpg

たしか、ここから先の見えないところには天上界に最初に出現した神様

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀っているのだけれども、

古社でこの神様を祀っているのはとても珍しいとの事。

なんでも、万物創世の神で人が祀る事すらおこがましいくらい偉い神様だかららしい!
DSこの先は本物の聖域りさC_0791.jpg
なので、僕らがいけるのは参拝殿までで、ここから先の本殿へは行けないよ。

これ、なんのお守りなんだろうね?
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それから、この神社のお祭りは4月25日の『春祭り』と10月第三土曜日の『秋祭り』ってのがあるよ!




さて、ここからは『艦これ』の金剛というキャラクターについて少し触れてみよう!8a9f34c5.jpg

これがワタシのプロフィールでぇす!

誕生日 1913年8月16日
付き合ってた恋人が二人とも同じ誕生日だったことには驚いたが金剛・・・・お前もかっ!!!

沈没 1944年11月21日



生い立ち
1906年、イギリスがそれまでにない画期的な戦艦

『ドレッドノート』を完成させ世界中に驚愕の嵐を

巻き起こした!

自軍のどの艦も、建造中だった最新鋭艦さえも

旧式にしてしまう程の強力な戦艦。

実は日本でもドレッドノート並みの艦(弩級戦艦はここから)を建造中だったが

技術、思想に欧米との距離感を感じていた。

そこで技術導入の為、イギリスに戦艦設計を依頼することとなった。

金剛の帰国子女っぷりはゲームにも反映されてて、やっぱり好きな飲み物は紅茶らしい。
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こうして生まれた日本海軍初の超弩級巡洋戦艦は、改修に改修を重ね高速戦艦に変身。
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太平洋戦争で使用した唯一の海外製日本軍艦金剛は、フットワークの軽さから駆逐艦のように

最前線を転戦していくこととなった。

金剛型四姉妹の長女。

太平洋戦争時にはすでに旧式化していたが、ネームシップに見合う活躍を見せた金剛。

現在ではイージス艦のこんごう型護衛艦1番艦に

その名が受け継がれている。



ワタシの戦果リザルトでぇす♪

第二次世界大戦

改修に改修を重ねた金剛は日本の戦艦では唯一30ノットを超える高速戦艦として生まれ変わった。

性能を生かし前衛で戦うことが多く、活躍する機会に恵まれた。




1941年12月10日 マレー沖海戦
ザックリいうと、東南アジアを占領したい日本とそうはさせねぇよ!というイギリスとの戦い。




日本側の戦力は戦艦金剛に加え姉妹艦の榛名。その他に水雷戦隊、基地航空隊といった感じだったけど

金剛、榛名は老朽艦だし、艦隊戦はちょっとねぇ・・・・いざとなれば、水雷戦隊で対応するけど

先ずはやっぱり航空機隊に頑張ってもらおう!という作戦をたてた。




この時代はまだまだ大艦巨砲主義の考えが根付いていて、航空機では戦艦は沈められない!

でかい船体に巨大な大砲が戦いを制すると考えられていた頃の作戦だった。

ほ・・・・ホントに勝てんのかよニホン・・・・ガクガク(((゜Д゜;)))ブルブル




対するイギリスの東洋艦隊は最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ

巡洋戦艦レパルスに駆逐艦勢。

航空支援はないが、日本の航空隊は大したことないって聞いてるから大丈夫さ!

このプリンス・オブ・ウェールズが沈められるわけねぇよヾ(*´Д`*)

と考えていたイギリス海軍。

しかし、12時45分激しい対空砲火を掻い潜った九六式陸上攻撃機が一機、また一機と爆弾を

投下していく。

レパルスはボクサーの様に身をよじらせて回避行動をとるも、一発の爆弾が炸裂。



一方プリンス・オブ・ウェールズには二本の魚雷が命中。

船体が大きく傾き始めた・・・・

13時37分。更に日本軍機が増援に加わり14時頃にはレパルスを撃沈させ、

14時50分にプリンス・オブ・ウェールズは転覆、艦尾から海中へと引きずり込まれていった。




海戦史、稀に見ない戦術で勝利を収めた日本海軍は大艦巨砲主義を覆す結果を生んだ。

あれ?金剛は何してたんだ?

航空隊の大活躍じゃん・・・・




1942年3月
ジャワ島南方の英国領クリスマス島を砲撃。『Burning Love!!』

白旗を揚げさせるも占領はせず、そのまま通過。

1942年4月
セイロン沖海戦

金剛型全艦そろっての出撃。四姉妹そろっての出撃はこれが最初で最後。

『私たちの出番ネ!Follow me! 皆さん、ついて来て下さいネー!』

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1942年6月
ミッドウェー海戦

比叡とコンビを組んでの参戦。

第一航空戦隊、第二航空戦隊が航空戦で壊滅。撤退を余儀なくされた。

1942年6月
ヘンダーソン飛行場砲撃
ガダルカナル島への輸送船団上陸支援の為、榛名と共に出撃。

ヘンダーソン飛行場に対して艦砲射撃を実施。

滑走路と航空機、燃料に被害を与えた。

飛行場を砲撃するにあたり、篝火(かがりび)を用いた測距や飛行場が観測できる山への観測所の

設置などの準備が行われた。

総計918発の砲弾が発射され、対空榴弾である三式弾が威力を発揮したと言われる。



1944年10月
レイテ沖海戦・サマール沖海戦

大和、長門、榛名ほか、巡洋艦戦隊らと共に参加。

金剛たちは敵空母に肉迫し、多数の命中弾を与えた。

1時間以上にも渡る死闘の末、米軍は護衛空母ガンビア・ベイ

駆逐艦ホエール、ジョンストン。

護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを失ったが日本側の被害の方が大きかった。

サマール沖海戦は日本戦艦が昼間に砲戦能力を発揮できる機会に恵まれた数少ない海戦だった。

この海戦における金剛の戦果で実際に確認できるものは護衛空母1隻と護衛駆逐艦1隻

それぞれの共同撃沈のみだが、それは海戦に参加した戦艦のなかで最高のものだった。







金剛の最期
1944年11月21日、
上記のレイテ沖作戦後を終えてブルネイにいた金剛らは内地への帰路につく。

しかし台湾沖で米潜水艦シーライオンの雷撃を受け、2発被雷。

先のレイテ沖海戦でダメージを受けていた金剛は、敵の新型魚雷には抗えず動力室と言う心臓部に

浸水が始まった。

魚雷2発攻撃を受けた金剛はシーライオンの追撃を避けるべく、直ちにその場を離脱。

しかし、これが悪い方向へと向かう。

悪天候で波が高かったこともあり、船体の鋼板が徐々に剥離・・・・

このため、浸水が拡大しついに金剛の心臓部は停止した。

船内では傾斜復旧の努力もむなしく、艦内爆発を起こしながら転覆。

乗員1300名の命を抱いて、日本海軍のダイヤ金剛は台湾沖に沈んでいきました。

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